14 技法としてのロゴセラピー  p58〜 

 

死に対する恐怖のようなリアルな不安は、

精神力動的な解釈によって鎮静することはできません。

また、たとえば広場恐怖症のような神経症的な恐怖も、

哲学的な説明によって治すことはできません。

 

しかしロゴセラピーはこうした症例に適用できる特殊な手法を開発しました。

この方法はどんなものなのか理解するために、

まずは神経症の患者にしばしばみられる状態、

すなわち予期不安から話を進めていきましょう。

 

この不安の特徴は、

患者が恐れているまさにそのものによって不安が呼び覚まされるということです。

たとえば大きな部屋に入り、

たくさんの人の前に立ったときに顔が赤くなることを恐れている人は、

こうした状況下では実際に赤面する傾向があります。

「願望は思想の父である」ということわざをもじって

「不安は事件の母である」と言いたくなるくらいです。

 

皮肉な話なのですが、不安がまさに恐れていることを引き起こすのと同じで、

過度の努力は人が強く望んでいるまさにそのことを不可能にしてしまいます。

この過度の意図のことをわたしは「過剰志向」と呼んでいますが、

これは特に性的神経症の場合に顕著です。

男性であれば、自分の性的能力を見せつけようとすればするほど、

女性であれば、オルガスムスに達する能力がすぐれていると示そうとすればするほど、

ますます目的を達成できなくなります。

快楽は本来、副次的な効果にとどまるべきものです。

ところがそれ自身が目的になってしまうと、

快楽は損なわれ、破壊されてしまいます。

 

ここまで説明してきたような過剰な意図のほかに、過剰な注意、

ロゴセラピーの用語では「過剰自己観察」も病原となる、

すなわち病気を引き起こすことがあります。

例をあげて説明してみましょう。

ある若い女性がわたしのもとにやってきて、自分は不感症だと訴えました。

問診をする過程で、

彼女が子供時代に父親から性的な暴行を受けていたことが明らかになりました。

しかし彼女の性的神経症の引き金となったのは

このトラウマ体験そのものではないことは、

容易に分かりました。

どういうことかと申しますと、この患者は一般読者向けの精神分析関連書を読み、

幼少時のあの恐ろしい体験がいずれなんらかの影響をもたらすにちがいないと、

つねにびくびくして生活していたのです。

この予期不安は、自分の女らしさをアピールしようという過剰な意図へと発展し、

パートナーのことよりも

自分自身に注意力が集中してしまうという結果になりました。

これは、性的愉悦の頂点に達する能力を患者から奪うのに十分でした。

オルガスムスは

パートナーにひたむきにのめり込んだことによる自然的な帰結ではなく、

故意の対象、観察の対象となっていたのです。

ロゴセラピーの面談を数回ほど行っただけで、患者の過剰な自己観察と、

オルガスムスに達する能力をアピールしようという意図は

「過剰自己観察消去(脱反省)」されました。

この「過剰自己観察消去」というのはもう一つのロゴセラピー用語です。

患者の注意がふさわしい対象、すなわちパートナーにふたたび向けられたとき、

オルガスムスは自然にやってきました。

 

「逆説志向」というロゴセラピーの技法は、二つの事実に基づいています。

不安はそのことで不安を覚えたまさにそのときにあらわれるということ、

そして、過剰志向は自らが望んでいることを妨げるということです。

わたしはすでに1939年に逆説志向について述べています。

このアプローチでは、病的恐怖症の患者に対し、一瞬だけでいいから、

自分が恐れているもののことをありありと思い描くように促します。

 

ここで一つの事例をご紹介しましょう。

ある若い医師が、汗をかくことが心配でたまらないと診察を受けに来ました。

汗がどっと噴出すのではないかと不安に思っただけで、予期不安が過剰な発汗の引き金となってしまうのです。

この悪循環を断ち切るために、わたしはその患者に、

もしも汗をかきそうになったら、どのくらいいっぱいあせをかくことができるか、

まわりの人たちにみせつけてやりなさい、とアドバイスしました。

1週間後にふたたびやってきた彼の報告によると、

彼は自分の予期不安の引き金になる人に会うたびに、

「前は1リットルしか汗をかけなかったから、

今度は10リットルの滝のような汗をかいて見せるぞ!」と

自分に言い聞かせたのだそうです。

その結果、4年間もずっと発汗の恐怖におののいていたというのに、

1回の面談を行っただけで、

1週間後にはその症状から完全に開放されたのでした。

 

読者の皆さんはお気づきでしょうが、この手法では、患者の考えを逆手にとって、

不安を逆説的な願望で置き換えます。

この方法によって、不安の「帆」をはらませていた風がやむのです。

 

しかしこうしたやり方が成立するためには、ユーモアのセンスに見られるような、

自分自身を突き放してとらえるというような

人間ならではの能力が必要になります。

この自分を一定の距離を置いてみるという能力が、

ロゴセラピーが逆説志向を適用する際の基本になります。

同時に患者は、自分の神経症とも距離を保つことができるようになります。

似たような説明が、

ゴードン・W・オールポートの著作「個人とその宗教」にもあります。

「自分を笑うことを学んだ神経症患者は、すでに自己管理の途上にある、

あるいは、回復の途上にあるといえるかもしれない」。

逆説志向は、このオールポートの指摘を経験によって裏づけ、

臨床に適用したものです。

 

さらにいくつか事例を挙げて、この技法をくわしく説明していきましょう。

次に紹介する患者は簿記係で、複数の医師と病院で診察を受けましたが、

はかばかしい回復がみられませんでした。

わたしの科に回されてきたときには極端な絶望状態で、

自殺を考えるほど追い詰められていると告白していました。

彼は数年前から指の痙攣に苦しんでいたのですが、

最近はその症状がいっそう悪化し、

仕事を失うかもしれないと恐怖するまでになっていたのです。

このような状況で彼を救えるのは、即効性のある短期治療しかありません。

治療をはじめるにあたり、担当医のエヴァ・コツデラ博士は、

これまでとまったく逆の「ことをするようにと患者に指示しました。

できるだけきちんと読みやすい字を書くかわりに、

思い切って乱暴に書き殴るようにしてくださいと言ったのです。

「わたしがどれほど悪筆か、みんなに見せつけてやるんだ!」と

自分に言い聞かせるようにと。

ところがわざと下手に書き殴ろうとしたとたん、彼はそれができなくなりました。

「下手くそな字を書こうとしたのですが、それができないんですよ」。

翌日、彼はそう言っていました。

たった48時間でこの患者は指の痙攣が治り、

治療の終結後もその状態を維持しています。

彼は平穏な生活を取り戻し、仕事も完全にこなせるようになりました。

 

書くことではなく話すことに関する類似の事例を、

ウィーン総合病院の耳鼻咽喉科の同僚が報告しています。

長年臨床に携わってきたその医師が経験した中でも、

もっとも深刻な吃音の事例です。

この患者は記憶に残っている限りで人生の全期間を通じ、

たった一回の例外をのぞき、

常に吃音に悩まされてきました。

その例外は、12歳のときに路面電車に不正乗車したときに起こりました。

車掌に取り押さえられたとき、

とっさに彼は車掌の同情を買えば放免してもらえるのではないかと考えたのです。

それで自分はかわいそうな吃音の男の子だと訴えようとしました。

ところが彼がつっかえつっかえ話そうとしたとき、

それが不成功に終わったのです。

自分で意識的に行ったわけではありませんが、

彼は知らないうちに逆説志向を使っていたのです。

もっとも、治療目的ではありませんでしたが……。

 

このようにお話しすると、

逆説志向は単一症状の事例にしか効かないのではと思われるかもしれません。

けれどもこのロゴセラピーの技法を使って、ウィーン総合病院の同僚たちは、

長引いている重度の強迫神経症にも効果を上げることができました。

たとえば、60年間も洗浄脅迫に悩んでいた65歳の女性のケースがあります。

エヴァ・コツデラ博士は、

逆説志向を用いてロゴセラピーによる治療を行いました。

すると、2ヶ月後に患者はごくふつうの生活を送れるようになったのです。

総合病院の神経科に入院する前に彼女は

「生きることはわたしにとって地獄のようなものです」と言っていました。

脅迫性の細菌恐怖のために、ついにベッドから出ることができなくなり、

家事すらできない状態だったのです。

彼女がこの症状から完全に開放されたというの言いすぎでしょう。

というのも強迫観念にとらわれる可能性は依然としてあるからです。

でもいまでは彼女は「それを笑い飛ばすこと」ができるようになりました。

つまり逆説志向を自分に使うことができるようになったのです。

 

逆説志向は睡眠障害にも適用できます。

不眠の恐怖は結果として寝ようという過剰志向を引き起こし、

そのために患者はほんとうに寝付けなくなってしまいます。

この特殊な不安を克服するために、通常わたしは患者たちに、

寝ようと頑張らずにその逆のことをするように指示し、

できるだけずっと起きていなさいと言います。

不眠の予期不安から生じる、寝ようという過剰志向を、

寝ないようにする逆説的な意図に置き換えるのです。

そうするとすぐに寝入ることになるでしょう。

 

この逆説志向は万能薬ではありません。

それでも脅迫的な病的恐怖を治療する有効手段として使えます。

特に、予期不安が根底にある場合はそうです。

また逆説志向は、短期治療にも適しています。

しかし短期治療であっても一時的な効果しかないとは限りません。

故人となってしまったエミール・A・グートハイルは、

「フロイト正統派によく見られる偏見」の一つは、

「成果の持続性は、治療期間と相関性がある」と考える点にあると

指摘しています。

わたしのファイルには、

たとえば20年以上前に逆説志向の治療を受けた患者さんの記録が残っています。

これほど時間が経っているのに、治療の効果はいまだにつづいています。

 

もっとも注目すべき事実の一つは、

逆説志向の有効性が当該事例の病因学上の背景に依存しないという点です。

エーディト・ヴァイスコプフ=ジョエルソンは

次のようにはっきりと述べています。

「伝統的な心理療法は、

治療行為は病因の所見に基づいていなければならないと主張しているが、

幼児期に特定の要因が神経症を引き起こすことがあり、

成人してからこれとまったく異なる要因が

その神経症の症状を軽くすることもある」

 

神経症の実際の因果関係に関して言えば、先天的な要素を除外すると、

身体的な性質のものであろうと心理的なものであろうと、

こうした予期不安のようなフィードバック機構は、重要な病原となります。

ある一定の症状が病的恐怖症を引き起こし、

この病的恐怖症がある症状を引き起こし、

その症状が病的奏上を強化します。

似たようなプロセスは強迫性障害でも観察されます。

この場合、患者は自分につきまとう考えと戦おうとします。

しかしまさにそうすることによって、

患者につきまとう考えは強化されてしまいます。

なぜなら圧力というものは逆圧を呼ぶからです。

こうしてふたたび症状が強化されます。

けれども患者が自分の強迫観念と戦うのをやめ、

逆説志向を使ってユーモラスにそれをからかうような気持ちになると、

悪循環が断ち切られ、症状が弱まって、ついには完全に消えてしまうのです。

症状を呼び寄せたり、

おびき出したりする実存的空虚感が関係していない幸運なケースなら、

患者は自分の神経症的な不安を笑って観察できるようになるばかりでなく、

最終的にそれを無視することに成功するでしょう。

 

これまで見てきたように、予期不安は逆説志向で克服できますし、

過剰志向も過剰自己観察も、

過剰自己観察消去で治療できます。

ただしこの花序自己観察消去は、

患者が人生における自分の使命と課題に向き合った場合にのみうまくいきます。

 

それが自己憐憫というかたちであれ、自分自身への嘲りというかたちであれ、

神経症患者が自分自身に関心を持っているかぎり、悪循環は断ち切れません。