コメント: 17
  • #17

    あきあや (木曜日, 31 7月 2014 15:39)

    体験
    ●私ゎ小学校の5年生の時の生徒会長の立候補者の自己紹介でどもりました。担任ゎ私の姿を見て笑ってました。2つ下の弟にも恥かいたと怒られました。
    ●中学生の頃、友達と私のお母さんと一緒に話してたら、お母さんに『お前の話し方よりも友達の話し方のほうがわかる。』と言われました。
    ●国語の本の読み聞かせなどゎ、自分流に考えて『、』『。』まで息しないで続けて読んでした。結構成功しました。
    ●今でゎ誰かと話すときにゎ、最初の言葉に『えっと』『あれ』『あの』などをつけて話してます。少しゎ楽です。

    ☆1番嫌な事ゎ、どもりをもつ人の前でどもりの話しをして、本人の前で同情したりされること。

    私の旦那ゎ私の話し方に合わせてくれて、理解してくれてます。

  • #16

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:39)

    初めての吃音
     私の吃音は、つい最近始まりました。勤めている会社で電話を取る時、以前は大丈夫だったのに、第一声の「はい、OOです」の社名が言えなくなってしまいました。声が出てこない、まるで言い方を忘れてしまったかのような感覚に陥ってしまったのです。
     以前から私は人前で話すのが苦手でした。人一倍緊張して、早口になったり、噛んだりすることは多々ありました。話すこと自体よりも、引っ込み思案、消極的な性格に問題があると常日頃感じていたので、話すこと云々には何も特に問題は感じでいませんでした。2年前に会社に勤め始めた頃も、電話に出るのは大の苦手でした。でも次第に慣れて、何とかこなせるようになってきました。この矢先に「吃音」が起こったのです。
     声が出てこないという感覚は今まで感じたことのないものでした。自分の身に起こっていることが全く理解できませんでした。家で何度も発声練習をしたりして一時は改善されたけど、一度言えない恐怖心がよぎると、また元に戻ってしまいました。こういった特異な悩みを相談できる人もいないし、もしかしたら明日は言えるかもという期待もあったりして、なかなか自分の悩みを自分でも理解できず、対処方法が見つからずに苦しみました。
     自分が吃音なのかも?と考えるようになったのは、インターネットでいろいろ調べて、言友会のホームページに辿り着いてからです。「電話が取れない」と悩んでいる人が意外と多いことを知ってとても驚きました。そして皆同じ様に、家で練習したり、誰にも相談できなかったりしているのだなあということを知って心底共感しました。
     初めて皆さんにお会いしたのは、豊橋の例会でした。自分の悩みを話したら、皆うなずいてくれて何だか嬉しかったです。いろいろアドバイスをもらえて良かった。初めての人とはいつも緊張するし、確かに当日はいつものように緊張したけど、ここでは自分の悩みが話せると思うと、何だか居心地が良くて、自分の居場所が見つかったとさえ感じました。
     私が苦しんでいたのは、吃音ではなくて、吃音で困っているのに誰にも言えずに、悩みも何もない平気な振りをして隠し続けていたことだったのかもしれません。今までは悩みがあっても、自分一人で何とかしようとして、誰にも助けを求めませんでした。でも吃音になったことで、自分を深く見つめる機会ができて、漸く他人に自分の苦しみや感情を素直に出せるようになった気がします。これからは吃音を隠さずに、自分に対して正直になりたいと思っています。

  • #15

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:38)

    弱い心よ、バイバイ
    私は何時頃から吃音になったのか覚えていません。初めて話せなくて辛かったことは覚えています。保育園の年中さんの時のことです。みんなの前で住所と電話番号を言いましょうというのがありました。みんながスラスラ言える中、私だけ初めの言葉が出なくて  何も言えなかったのです。どうして言えないのだろうと辛くて悩んだのを覚えています。  小学生になって本屋さんで領収書をもらってくるようにと母に頼まれたことがありました。私はドキドキしながらレジのお姉さんにもらいに行きました。名前を聞かれも名前が言えず、お姉さんの顔を見ると、変な子を見るような気持ち悪いものを見るような顔をしていたのを覚えています。それから人と話すのが怖く、苦手になりました。そして、領収書という言葉であのお姉さんの顔が頭をよぎるようになりました。とても恐怖でなりません。
    私が言友会に入ったのは、会社で「話すことも仕事だ」と言われたのがきっかけです。私の中で、話しやすい人の表情と話しにくい人の表情というのがあり、話しにくい人に 「休憩に行きましたか?」と聞くことが出来ずに、その人の前でうつ向いてしまいました。その日は何とか終わり、職場も替わり、言えなかったことは心の隅に行きました。何週間後、翌週のシフトを見たらあの職場で、その時のことを思い出してしまい怖くなって次の週をお休みしてしまいました。社会人に大切な『報連相』が出来ないなんてイケないと  思い、インターネットで吃音を検索しました。そして言友会に出会いました。初めは言友会の掲示板の書き込みを見ているだけでした。同じ吃音で悩んでいる人がたくさんいて、ホッとしました。書き込むのに勇気が要りましたが、すぐに受け入れてもらえ感動しました。質問にも親切に答えていただけて嬉しかったです。少し強引のような(笑)気もしましたが、例会に誘われて参加することにしました。初めての例会は緊張したけど、温かい場所でとても楽しかったです。みんな優しくて話しやすかったです。うめキングさんの司会もとても素敵な話でした。マイナスの中にプラスを見つけてみようと思いました。自己紹介で名前が言えなかったのが心残りです。次の例会では言いたいです。そして2次会、3次会。みんなで会話をする楽しさを知りました。ありがとうございました。
    これからの私は、話すことに失敗しても凹まない様な強い心を持ちたいと思います。例会では積極的に話が出来たら良いなと思います。吃音を治すことばかりを考えずに、吃音を知ってもらうことが大切なのではないかと最近思ってきました。吃音のお陰で言友会を知り、素敵な人達に出会えて、とても幸せです。吃音は悪いことばかりではないですね。これからもたくさんの出会いや経験が楽しみです。これからも宜しくお願いします。

  • #14

    ゆな (木曜日, 31 7月 2014 15:37)

    ご無沙汰しています。皆さんお元気ですか。私は、新しい仕事にも徐々に慣れ日々奮闘中です。吃りに対しての執着心も以前に比べてかなりなくなりました。考える時間も減りました。私にとって、ペテロさんはじめ言友会の仲間の(一度しかお会いしていませんが^^;)存在はとても大きくて支えられている事を実感しています。確信を持てます、もしあの時あの集いに参加していなければ今の私はいません。きっとやり場のない気持ち、自己嫌悪の毎日を過ごしていたかもしれません。一期一会の出会いに感謝しています。ありがとう。
    心を込めて。それでは。

  • #13

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:36)

    体当たりで行こう!
    高校2年の頃から自分には吃音があって、社会に出てやっていけるのかと不安になり、就職はできたのですが、やはり電話対応や構内放送は出来るだけしなくて済むよう委縮していました。入社5年目となり、業者対応も増えてきたことから、今のままではいけないと思い、ネットで検索したところ豊橋例会に出会い、11月21日の定例会に初めて参加した次第です。会場まで行った段階でどうしようかと悩みましたが、思い切って参加して良かったです。堅い雰囲気で行われるものと思いきや、気さくな会で、加えて私と同じ初参加の方が他に2名いましたので、とてもリラックスした時間を過ごすことができました。皆さん、やはり同じ様なことで悩んでおられるようで、痛く共感いたしました。
    吃音の症状が出はじめたのは、小学6年生の頃だったと記憶しています。私には元々言葉の最後に「さぁ」、「さぁ」と何度も言ってしまう癖があったようなのですが(いつからか分かりませんが)、そのことを級友にからかわれるようになってから吃るようになったのではと思います。当時、一番辛かったのは国語の朗読で、「ロンドンまで続く・・」という文章で「ロ・・」「ロ・・」と何度もつまずき、それから「ロンドン」とあだ名が付いてしまったことです。クラスの4~5人の男子にいつもそのことでからかわれて、よく喧嘩をしていました。今となっては笑って話せることですが。吃音の事でよく喧嘩をしていた連中とは、今では10年来の親友です。何でこんなに長年つるんでいるのかと考えると、体でぶつかり合ったからこそだと最近思っています。何でも体当たりで行くことが大切なようですね。
    今回、例会に初めて参加して強く感じた事があります。それは、吃音を治すために参加するよりもむしろ、自分から話し合いの場を持つために参加するということが大切なのだと。自分は、他人と話すことで自分を見つめ直す機会は今まであまりなかったのではと思います。吃音からなるべく目を背けようとしていた私にとって、今回のアクションは大きなターニングポイントになりそうです。これからは吃ることに臆することなく、自分から前に出て行く勇気を言友会を通して身につけていきたいと思っています。「体当たりで行こう!」が、今年のモットーになりそうです。
    これからお世話になります。皆様、改めてよろしくお願いいたします。

  • #12

    うめキング (木曜日, 31 7月 2014 15:36)

    遥かなる闘いの果てに
    豊橋在住。30歳独身男。身長180cm、体重80kg。趣味はゴルフ、ボーリング、水泳、映画鑑賞。この8年間風邪で会社を休んだ事も無い・・・。自分という人間を形容すると、ざっとこんな感じである。しかし、私が幼い頃、病弱で入退院を繰り返し、ひどいいじめに遭っていた事を、知る者はほとんど居ない。まして今の自分の外見からそれを想像するのは難しいかもしれない。
     物心付いた時から喘息を患い、昼夜無く病院へ運ばれ、小学生の間に6回の入院、5年生の時には発作が収まらず、1ヶ月近く点滴を外せなかった時もあった。吃音を意識し始めたのもその頃ではなかったか。国語の朗読の時間に吃り、格好のいじめの材料にされた。運動会の徒競走で派手に転び、それだけで腕の骨が折れ、病院へ運ばれ、看護婦さんに「名前は?」と聞かれ、詰まって声が出せなかったのが昨日の事のように思い出される。
     中学に入ると、いじめは益々エスカレートし、アトピーで肌が赤くただれ、血が滲んでいるのを、女生徒から汚いものを見るような目で見られたのは非常に辛かった。まるでいじめられに学校に通っているようなもので、強い劣等感と人間不信に陥ってしまった。
     そんな環境が、高校入学と共に激変した。クラス内でのいじめは無く、みんな大学入試という共通の目標に向かって頑張っていた。私は、水を得た魚の様に明るく振舞い、それはやがてクラスの皆から好かれたい、人気者になりたいと言う願望に変わっていった。その結果3年間で、学級委員を3度も任される事になる。
     友人も多く、身体も段々丈夫になり、何もかもが順風満帆に思える時も有ったが、吃音だけはそれを許してはくれなかった。友人と話す時は何とかごまかす事が出来たが、先生や厳しかった父親の前に出ると声が詰まってしまい、言いたい事の半分も伝えられなかった。女生徒には、こちらから話し掛ける事は殆ど出来ず、話し掛けられても、相手の顔を見て話す事もままならなかった。
     大学に入り、一人暮らしを始めると、緊張感無く過ごす事が多くなり、吃音を忘れられる事が多くなったが、女性に対するコンプレックスは変わらず、いつしか少年時代に自分の置かれていた環境を恨めしく思う事になる。あの忌々しい経験さえなければ、吃音も無く、もっと幸せに過ごせた筈なのに。と、生まれ育った町まで憎く感じられ、過去を閉ざして生きていく事になる。
     社会人になると緊張の連続で、今まで避けてきた電話の応対からも逃げられなくなり、嫌でも吃音と向かい合わないといけなくなった。その一方で、週末になると繁華街に出かけ、酒を飲んで舌を滑らかにし、女性を口説き、モノにする事を知る。相手を好きかどうかは問題ではなく、そうする事で自分を虐げてきた者たちを、見返したような妙な満足感を得るのである。
     そんな折、友人の紹介で、一人の女性と付き合う事になる。とても明るく、誰とでもすぐに仲良くなれる彼女は、一方で辛い過去を背負っていて、それを包み隠さず話してくれた。そしてある日、彼女は、「私は何もかも打ち明けたのに、あなたは何も話してはくれない!」と、食って掛かった。私は観念して、吃音やいじめで辛かった過去を全て話した。気付くと私の頬から涙が溢れていた。彼女は「そんな事が有ったなんて知らなかった。今は全然普通だよ。」と言って、優しく涙をぬぐってくれた。
     その時思った。今までの私は、皆から好かれたい、愛されたいと求めてばかりだった。“愛とは与えても与えても減らない唯一の財産”だと言います。これからは少しでも与えられる人間になりたい。そして自分から目を背けずに、見つめ直してみよう。大事な事は忘れる事ではなく、許す事ではないか。
     今、言友会を知り、すばらしい仲間と知り合う事が出来た。闘いは終わり、自分探しの旅は、まだ始まったばかりだ。

     つたない文章を最後まで読んで下さって有難う御座いました。辛い作業でしたが、出来る限り正直に書いたつもりです。最後のお願いとして、下記アドレス宛に一言で良いので感想を書いていただけると幸いです。
    umezou0523@yahoo.co.jp

  • #11

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:35)

    本当の自分
    いつ頃から吃音になったのか記憶にありませんが、52年の歳月が過ぎました。これから自分の生きるすべを探している時にインターネットで言友会を知りました。昨年12月15日の豊橋例会に初めて参加させていただき、何人かのお話しを聞き、自分以外にも苦しんでいた人がいる。これまで自分の世界だけに存在する苦難だと思っていました。  この人達も自分と同じような苦難を味わったのだろうか、そして、「吃音」を自分の中に  再確認させられました。
    小山会長さんから原稿の依頼を受け色々なことを文にしましたが、どれも抽象的で自分でも納得出来ず、自問自答を繰り返す日々が続き煮詰まりました。52年生きてきた中で自分の存在が分らない。吃音である事で何事においても逃げていたと思う。理想を掲げては現実の厳しさに戻され、理想と現実の狭間での葛藤が現在まで続いている。これまでの葛藤の中で「吃音」に対して治そうとする努力を行ってきたのか、恥も外聞も自分の中に閉じ込めてガマンしていただけである。そのガマンが限界に達した時に、ささいな事でも爆発する。この事の繰り返しで、「吃音」を少しでも和らげる努力を行った事が無い。いいかげんな所がある。自問自答の中で他人から見た自分を見つめると、特徴がつかめない。突然爆発するし、言っている事が分らない。これといった特技も無い。これといった業績も無い。ただ漠然と名前だけが存在する。人が認めてくれないと自分では現在まで思っていたが、実際にはそうではなかった。「吃音」で話す事の努力もしないで、他人のせいにしていた自分を人は認めてはいない。そう考えると自分の存在を明らかにする為の何らかの葛藤をしなければ、人は認めてくれないだろう。
     又、自問自答の中で「本当の自分て何だろう?」と自分に問い掛けてみる。本当の自分を分って欲しいと幼い頃から願っていた。正直に言えない心、この事が自分を偽って棚の上に上げてしまったのです。仮面をかぶって自分を見せない、又他人を分ろうとしない自分本意の考えで行動してしまう。この行動の中に他人が傷付いている事すら分らない。 “吃音者”は他人からの言動、行為に傷付き悩みます。言友会の文集の中にも苦闘した激しい内容の文章があり、読んでいて涙が出ます。これほどに苦しんでいる人達がいる事を知らされました。自分はこれまで自分の傷だけを苦しんでいたのではと思いました。周り人はどうだったのか考えてみました。親、兄弟、学校、会社、家族など、これまでに人と関わってきた中で自分の言動、行為で傷付けた事が有るのではないだろうか。仮面を外して、もう一度、言動、行為を見直す事が必要であると思い、新たに考えてみたいと思っています。
    この文章を書くにあたり、自問自答した事を言友会、又会長にお詫びと感謝したいと思います。この会に入会しなかったら、自分の世界だけの苦悩と考えて過ぎた事でしょう。自問自答する事すらしなかったでしょう。この様な機会を与えて下さった事に感謝します。又活動している会員の皆様の行動力には感服しています。「無償の愛」という言葉がありますが、例会に参加させて頂いた時にはそれ程感じなかったのですが、この文を書くにつれて自問自答する度に煮詰まりました。頭に浮んだ事が「無償の愛」でした。自分に出来るのだろうか。この事で悩みました。これを解決してくれたのは少女の笑顔でした。あるスーパーで少女(障害をかかえる)の一人遊びの笑顔が男(親)の出現で顔、身体が急変し笑顔が消えてしまった。少女の笑顔が脳裏から離れません。自分にもこの笑顔が欲しい。そして子ども達の笑顔が見たい。言友会の皆さんの笑顔が見たいです。会員の皆さん宜しくお願いします。そして無償の愛を教えて下さい。

  • #10

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:34)

    就職活動で感じたこと
     「こっ、こっ、これから帰りの会を始めます・・・。」その時、クラスの皆は大笑いだった。私が初めて自分の吃音に気づいたのは小学校5年のその時である。
     小学校ではよく朝の会、帰りの会というものがある。私はその日、日直で帰りの会の司会をしていた。私が吃った後、皆が大笑いしたことはとても恥ずかしい事だった。しかしそれよりも辛かったのは、その後に先生が皆を叱ったことだった。先生が「なぜそんなことで笑うのか」と皆に言っている間、私は席に座り、下を向いて黙っていた。今思い返すと、とても強烈な印象と共に頭に浮かんでくる出来事である。幼い頃の私がなぜそのように感じたのか、今ではよく分からない。しかしその出来事以来、私は自分の吃音を強く意識するようになったのである。特に、本読みや電話といった、緊張する場面ではなかなか声が出てこなくなったことを覚えている。
     それからの生活は吃音と付き合うことになった。学生であるため自分がうまく話せないことは嫌だったが、私の中で特に大きな問題とはならなかった。自分の中だけで考え、  どうやったら治るのだろう? 何が問題なのだろう?と、いつも思っていた。自分で本や インターネットで調べて改善策を試してみたが、どれも長続きせずうまくいかなかった。
     私は就職活動を始めるにあたり、面接と電話の対応について不安を抱き、言友会の門を叩いた。私の吃音は、ある特定の単語、言い換えの効かない固有名詞が苦手というものだ。面接や電話では初めに大学名と自分の名前を言うが、それが言えないのだ。大学名と自分の名前が言えない人は普通いない。当たり前の事が言えないのは、自分の中でかなりマイナスイメージであった。「何だ、この人?」と思われたらどうしよう、それだけは何とかしたい、と思えば思うほど、どうしようもなくなってしまうのだった。
     私は言友会に入って同じ吃音で悩む人々に会うことで、本当の意味で自分を受け入れることができるようになったような気がする。面接の前に自分に言い聞かせたことは、「吃ってもいいから、大きな声でゆっくり話すことだ」ということだった。面接の中身はそれまでの自分をありのままに話せば良いだけであるから、吃音とは関係ないということを言い聞かせた。その甲斐あってか、めでたくある会社から内定をいただくことができた。
     今まで私は自分の吃音を誰にもばれないようにしたい、また、吃ったとしてもできるだけ恥ずかしい思いをしたくないと思っていた。しかし、それではダメだと思い始めた。  自分から一歩を踏み出さなければ何も変わらない。そして大切なのはありのままの自分を受け入れること。私は自分の吃音を隠すのではなく自らオープンにしていく事で、吃音が少しでも良くなるのではないかと考えている。

  • #9

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:33)

    私の吃音雑感
    言友会のことは、今年の5月にインタ-ネットで初めて知りました。機関紙の「やろまいか」や「吃音者宣言」などを読んで、早速、入会をすることに決めました。例会には、入会早々に名古屋と豊橋に参加させていただきました。例会の初めはやや緊張気味でしたが、とても気が楽でした。共通の悩みというか吃音を持つ者同志の集まりだったからでしょうか。入会するや機関紙に載せる原稿の投稿を依頼されて、元来、筆不精の私にとってはこちらの方が緊張しましたが、折角の機会ですので、自分なりの吃音雑感というものを書いてみました。
     私は今年で54歳になります。私が記憶している中で初めて「吃音」ということを知ったのは、幼稚園の入園式でした。母が受付で「この子はどもります。」と言ったことを今でも鮮明に覚えております。その時は幼過ぎて「どもり」ってどういう意味か理解できなかったのですが、どことなく普通の子とは違っているなぁという感じを持ちました。やがて、小学生、中学生となり、時々、周りから吃音をからかわれたりしましたが、さほど惨めな記憶はありませんでした。それは、中学生までは周りは幼馴染ばかりで、よく知っている友達と遊んでいたからでしょうか。ただ、内面は時々、痛いほど傷ついていたような気がしました。自分は「何故、どもるのか?」と一人で悩んだこともありました。そして、高校生、大学生となるにつれて自我の確立とともに、「人前」を気にし出し、「どもる」たびに「どもる」ことを恐れました。そして、社会人となり今日に至っています。その間に、私の周辺にも吃音の人がいましたが、お互いにこの「どもること」について話をするということもありませんでした。私自身についても、結婚する前に妻に自分が吃音者であることを話しましたが、ただそれだけのことでした。普通の「悩み」ならばもっと詳しく話せるでしょうが、自分の中で「劣等感」として思っていることについては、なかなか話せないものです。今の私は、相も変わらずどもっており、自分の悩みの種は依然として「どもること」には間違いはないのですが、歳を重ねたせいか以前ほどの深刻さはなくなりました。確かに、若い頃は、これと正面から闘い、克服してやろうとしましたが、結局は負けてしまいました。というよりも、相手の強さを知らなかったということでしょうか。考えてみれば、私の中で何年も「同居」しているのだから当然の結果でした。いつの頃から「どもる自分」を認めている自分に気づきました。また、永遠に払拭されない悩みならば、これを受け入れて、共存していく方が楽ではないのかというふうに考え方を変えました。吃音を深刻に考えないようにし、どもってもそれはそれでよしとすることにしてきました。また、それと平行して自分の吃音についても自分なりに考えてみることもしています。例えば、どもり易い言葉は何かとか。どんなどもり方をしたか。どもり易い言葉をどもらずに話せた場合はどんな時であったとか。今日はどもらなかったとか等です。こんなふうにして、毎日を吃音と付き合って暮らしていると、吃音も案外、人生に非吃音者と違った楽しみを我々吃音者に与えてくれるものではないでしょうか。また、言友会を通して、多くの人と知り合える可能性も楽しみの一つでしょうか。今後ともよろしくお願いします。

  • #8

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014)

    内なる自分にもがいて
    僕は人前に出るとあがってしまいます。当然、こうしてみなさんの前に出ているので現在も緊張しております。でも、これはいわゆる吃音とは違います。程度の差はあれ、誰でも緊張するものです。ですから、このことはとりわけ問題にならないと思います。
    一方、問題になるのは吃音の方です。自分が現在、吃音だと認識するのは、会社等で挨拶する時など、第一声が出にくいことです。人から挨拶されればそれにはすんなりと挨拶を返すことができますが、自分から言うのに初めの単語が発声しづらいのです。挨拶をしないとマナーが良くないと考えてしまい、毎朝、今日は挨拶ができるかと考えてしまい、神経を遣ってしまいます。また、機械の大きな音がするところ、賑やかな店内などなど、騒がしい場所では声を出しにくいのです。 大きな声を出そうとすると吃ってしまいます。そのため、大勢がいる場所に行くのが嫌いになり、一般の人たちが普通は楽しみにするはずの飲み会・宴会等が逆に不安の種になっています。いわゆる普通に喋ることができる人にとっては何でもない日常の言葉のやりとりに、いちいち神経を遣っています。また、  このような症状がない、いわゆる普通の人を羨ましく思ったりします。このようなことに苦しんでいるなんて、会社中、誰も知らないはずです。
    こんな自分はいつから始まったのでしょうか? 振り返ってみようと思います。物覚えある頃から自分はいわゆる大人しく、口数の少ない性格でしたが、小学生の時までは吃音の症状は全くありませんでした。しかし、中学校に上がって転機がありました。順番に回ってくる「朝の会」の司会をした時に、クラスメートが自分の声が変だと指摘しました。これを機に自分の声が変ではないかと不安になり、人前で話すことに自信がなくなっていきました。そのようなことで、だんだん人前で話すことができなくなっていきました。  失敗すると、それがまた不安の材料になり、ますます悪い方へ進んでいく悪循環に陥っていきました。吃音にとらわれているため、順番に回ってくる「朝の会」の司会を担当することになる日数を指折り数え、国語の時間の朗読を心配し、指名されることにびくびくしながらの毎日でした。人によってはどうでもよいこと、しかし、自分には重大なこの吃音というものに気をとられていた当時の自分。ますます自分が嫌いになっていました。自分に対して否定的な感覚を強く持つようになりました。一般にいう「普通の人」たちは全く気にしないことに気をもんで疲れてしまっている自分がいる。なぜこんなことに苦労しなければならないのだろうか? このことに振り回されて生きてきました。しかし、そんなこんなで生活しているうちにある程度は慣れてしまったためでしょうか。以前ほどの吃音の症状はなく、また、気にならなくなってはいましたが、やはり吃音に悩んでいる自分がいます。
    そのような中で、言友会と出会いました。言友会ではそれぞれ状況は違うものの、吃音という同じ悩みを話すことができます。今まで自分の中だけで溺れていたことを話すことができ、気持ちが楽になりました。今まで自分の中だけで格闘してきたものに対してみんなで共有できるからです。同じように吃音で悩んでいる仲間たちがいる言友会だからできたのです。また、言友会はお互いの傷の舐めあいの場でもありません。もちろんそうなってもいけません。吃音でも前向きに物事に取り組んでいこうとするものです。ここに来る前の自分。吃音を自分の中だけの言い訳にして、自分という殻に閉じこもっていただけではないかと思うのです。 できなければ人の数倍努力する。そんな事も言友会で学びました。
    溺れてもがいていた自分も、言友会という「浮き輪」をつかまえました。これからも高波にのまれそうになることもあるでしょう。しかし、あらゆることに対して前向きに取り組んでいくことを皆さんの前でここに宣言したいと思います。自己否定していても変わらないですからね。ありがとうございました。

    (2004年11月21日「豊橋・吃音者のつどい」の体験談発表より)

  • #7

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:32)

    言友会に思うこと
     豊橋での吃音相談会に初めて参加して言友会のお仲間に入れさせて頂くことになりました。豊橋での相談会ではこんなにも多くの人が吃音で悩んでおられるのかというのが率直な感想でした。今まで自分の周りには誰一人と吃音者はいなく孤独で悩んでいましたが、相談会の後の飲み会では言友会の皆さんとざっくばらんにお話をして吃音に対して屈せることなく明るく前向きに生きている姿を見て、自分も吃音から逃げないで正面から向かっていこうという気持ちになりました。
     私は小さい頃から人と話すのが大の苦手で、また幼少の頃は他の子と比べて言葉を発するのが遅くて脳波を調べてもらいました。結果は正常で特に問題はなかったのですが、その後も小学1年生の頃まで「ことばの教室」に通ったりしていました。吃音というより明瞭な発音が出来なかったというような記憶があります。吃音を意識したのは高校時代からだと思います。それまでも吃音があったのかもしれませんが、全然そういう意識はなかったようです。そんな訳で自分から積極的に人に話しかけていくということもあまりなく、友達も少なくて暗い青春時代を送っていました。社会人になり最初の5年間は自動車部品メーカーでの機械加工の仕事をしていて、一日中機械と向き合っているような仕事でしたので特に話すことにおいて吃音であってもほとんど困らなかったのであまり気に留めていませんでした。その後、訳あって1年間専門学校に通い昨年の4月に転職しました。今の仕事は同じ部品メーカーで出荷・生産管理の仕事で主に倉庫内の作業が多いのですが、取引先との交渉業務もあり当然電話連絡が欠かせません。吃音者の皆さんも電話が苦手の方が多いですが自分もその1人で特に母音が言いにくく困ることが多々ありました。そのことで周りから言われたことはないのですが、いつ吃音のことを言われるか冷や冷やの日々を送ってきました。何とかしないといけない。もしかしたら仕事を変えさせられてしまうかもしれないという不安が強くなってきました。そんなときに言友会の存在を知りました。
    まだ入会して間もないですが、言友会の人と段々と打ち解けてきました。
     言友会は吃音克服だけでなく他県の色々な地域の人や世代を越えた交流もあり、すごく良い会だと思います。自分をさらけ出しお互いの悩みをみんなで解決する。また同じ吃音者だから吃音にとらわれないその人の良さを感じることもできるのではないでしょうか。

  • #6

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:31)

    吃音とつきあう
     私は44才の男性会社員です。私の吃音は、小学校3年生の頃に友達が吃っていたので、それから少しずつ吃るようになってしまったように思います。中学に入り、2~3年頃に‘いじめ’に遭い、毎日が恐怖感の連続でした。子供の頃から性格的に内向的でおとなしく、自分に自信がなく、常に劣等感を持っていました。
    高校に入ると‘いじめ’もなくなり、吃音も日常であまり苦にすることなく、楽しい生活を送っていました。就職も自分の意志とあまり関係なく、何となく入社しました。それからですかね、吃音を強く意識するようになったのは・・・・・。「電話対応」・「顧客対応」・「店舗会の司会」等など、言葉が思うように出ないのでとても苦痛でした。特に電話での対応時に、最初の言葉が出ない。そのうち相手先から大きな声で「もしもし」「もしもし」と言ってくる。そうなると、恐怖感と緊張感でなおさら出てこない。何とか会社名を言っても、電話の向こうで笑い声が聞こえてくると、とても落ち込んでしまいます。でも何とか吃音を治そうと自分で練習し、岡崎市の吃音矯正院などに通いましたが、自分だけで話す時は上がらずに普通に話すことができます。しかし、会社に行くとうまく言えず、できるだけ話すのを避けるようにしてきました。何度も転職を考えましたが、妻の励ましや、関連会社への出向などがあり、出向先では吃音で困ることがなかったので、とても気持ち良く勤めることができました。その後、私の意志とは反対に転勤辞令があり、ショックが大きくて、2日間欠勤してしまいました。再就職先も見つからず、今現在の会社に勤務するに至っています。
    最近の悩みは朝礼や終礼等です。また、家庭の方では去年、父が他界した事での法事等の挨拶です。こういう場面では、どうしようもなく憂鬱になってしまうのです。
    そんな折りの昨年、豊橋での吃音相談会が「広報」に掲載されていましたので、参加することを決心しました。相談会に参加して、伊藤伸二氏の話を聞き、「吃音は治らない」と言われた時は、自分としては絶対治ると思っていたのでショックでした。でも、話しを聞いているうちに、吃音と上手くつきあっていこうと思うようになりました。この時、言友会に入会しようと決めました。今までの過去は忘れ、言友会に入会し、少しでも吃音が良くなるように考えていこうと思いました。入会して、豊橋例会に2回程参加しました。吃音についての相談、“上がらない”(平常心を失わない)ようにする方法、言葉の話し方など、とても参考になることばかりでした。私が今後、豊橋例会を担当する時にやってみようと思うことは、例えば、目的に合わせた場所作りをして実際にやってみる。そして場馴れを経験する。そしてともかく何回も繰り返しやっていけば、少しずつでも吃音が良くなっていくと思います。みんさんと一緒に頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願いします。                     

  • #5

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:30)

    言友会に入って変わった事
     皆さん、こんにちは。私は小学5年から吃るようになり、うまく喋れない事にコンプレ
    ックスを持つようになりました。高校生から20歳の頃まで、名古屋の例会に参加していました。しかし今の会社に就職してからは例会に参加する機会もなくなり、音信不通の状態でした。去年の夏に会長から手紙があり、豊橋でも例会がある事を知りました。私は以前から、会社での生活や友達との付き合い、結婚の事で、ちゃんと喋れたらいいのにと思っていました。この機会にまた言友会に参加してみようと決心して、豊橋の例会に参加しました。
    初めての参加なのに、皆暖かく迎えてくれてとても嬉しかったです。皆吃音で苦労しているけど、それに負けずに一所懸命に、明るく生きている事に感動して、その場で改めて入会を決意しました。「ゆっくり、落ち着いて話せばいい」とわかっていても、気持ちばかりが焦ってチグハグしていましたが、例会に参加していくうちに、腹式呼吸の実践等でコツをつかんでいき、少しずつですが人前でも喋れるようになってきました。昔は避けていたドライブスルーにも迷わずに入っていけるようになりました。たまに人から吃音のことで冷やかされる事もありますが、「これでも、良くなった方だよ」と言い切れるようになり、前向きにとらえられるようになりました。自分に自信が持てるようになりました。今でも、吃音のハンディはあるものの、会社でも友達の前でも堂々と振舞っています。
    また、会社以外で友達ができ、仕事やプライベートの事を話したり、自分の知らなかった事を吸収できることも価値的だと思いました。特に同年代の仲間ができて、例会に参加するのが楽しみになりました。
    拙い体験談ではありますが、以上で終わります。ご清聴ありがとうございました。

    (2003年11月16日 「豊橋・吃音者のつどい」の体験談発表より)

  • #4

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:29)

    “孤独”からの解放
     幼少期に吃音を自覚した人、思春期から吃音に悩んでいる人、成人後の社会に出てから吃音に悩み始めた人・・・。また、その症状・年齢・立場も様々・・・。
     私も、自身の苦しみから藁にもすがる気持ちで、言友会のホームページにある “アンケート”を通じてアプローチさせて頂きました。早速、ペテロさんから間髪入れず返信のメールを頂き、ほとんどは例会参加前からお二人の“仲間”を受け入れて下さる気持ちに打たれ、入会を決めていたと言っても過言ではありません。
     私の吃音状態は、自身の名乗りの発語困難にあります。あるいは、全く出なくなる事もあります。特に、皆さんも同じようにお悩みの電話や自己紹介等、自身を姿の見えない相手または初対面の人に自分は何者であるかを伝えなければいけない時に、こうした状況になるのです。他、電話に限ってですが、“おはようございます”“有難うございます”という母音から始まる言葉が出づらいと感じております。
     現在は、企画的な仕事に就いており、以前の営業職時代に当たり前のように朝から頻繁に電話しなければならなかった事は今は無く、部下もできた今、上席者である自分自身が自ら外線電話を積極的に取る必要はなくなりました。しかし、会社の慣例として“(会社名)・(氏名)です”と電話に出なければならず、現在もこれがどうしてもできなくて、これを克服するために言友会へのアプローチを決めたとも言えます。
     現在のこうした症状から、以前の転職前の会社では会社名が言えなかったり、こちらから電話をして折り返し電話を貰わなければならない時に名乗れなかったり、あるいは出張でのホテル予約で会社名までしか出てこなかったりと、顔から火の出るような恥ずかしい思い、名前を言えない情けなく自虐的な思い等、いっぱい繰り返してきました。そして、こんな事で悩んでいるのはこの世の中で自分以外の他、ほとんどいないんだろうなと、とても淋しい思いも感じておりました。
     そうした中、忘れもしないさる5月10日(金)会社の電話対応時、同様の状況が朝から私に発生し、その日はとても憂鬱な気持ちのまま一日を過ごしました。その

    帰宅した夜、以前からアプローチをしようしようとずっと思いながら勇気が無く、出来ずじまいでいた“名古屋言友会”のホームページ・アンケート画面へこれまでの思いを一句一句入力、打ち込みました。そして、最後には返信が欲しい、と。      
     翌日、それはすぐ私の元へ届いていました。しかも、名古屋の会長と三河地区の代表からも “仲間”として受け入れたいというメッセージとして・・・。それからほどなく、例会に参加させて頂き、入会を決めました。
     そして、迎えた6月2日、入会後の最も心待ちにしていた行事の1つである伊藤伸二先生の講演「吃音と上手くつきあうには」の開催される日がやってきました。

     “変えることが出来るなら、変えていく勇気を”
    “変えられないものは、受け入れる冷静さを”
    “変えることが出来るか、変えられないものか、見分ける知恵を”

    先生が、ホワイトボードに書かれたこの一節は、まさに私にとって吃音をいかに自分の中で捉えていくかを示唆してくれるものでした。やがて、開始時間となり、先生がお話しをご自身の自己紹介から始めます。そこで、まずおっしゃられた一言。「皆さんが言友会の中で、どういう立場の方たちか分からないと話しづらいなぁ。」と。そして、吃音者の人達、吃音を研究する人達、それ以外の人達の3タイプの参加者がいる、と認識されてから先生の勢いのあるお話しが始まり、参加者の人達に色々な質問をしながらやがて私を含め、皆、そのお話しに惹き込まれていたと思います。気がつけば、休憩時間に財布の中身と照らし合わせながら、先生の書かれた本を買っている私がいました。そして、あっという間に講演は終了の時間を迎えました。
    講演を聞いての所感をまとめると、伊藤先生は今や吃音を堂々とご自身のパーソナリティの一部として表現されており、これが全人的に先生の魅力となって輝いておられる事から、我々は自身の悩みと相俟って惹きつけられるのだろうと思います。
    そして現在の心境を申し上げますと、入会してまだ日の浅い私はまだまだ言友会の“諸先輩方”のお名前とお顔は一致しませんが、症状は違えども入会して同じ悩みを持つ人たちに出会えた、という現在はある種の“孤独感”からは解放されました。
    そして、今後は会活動への積極的な参加を通じて、“孤独”からの解放を目指していきたいと思っています。皆様、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

  • #3

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:28)

    前向きに生きる姿があった
    私が言友会の存在を知ったのは、長女が不登校になり、その原因が「吃音」からくるものだったことが分かった3年ほど前のインターネットでした。しかし、当時は触れば壊れそうな長女を見守ることで精一杯でした。そして昨年11月の講演会に中学校のカウンセラーの方の紹介があり、妻と長女もその気になっていたので参加させていただきました。「一体どんなことをしているのだろう。」「吃音が治るのだろうか?」と興味本位で出席いたしました。受付を済まして席で待っていると、一人の青年が私たち家族に声をかけてくれました。その青年は吃音でありながらも一所懸命に話し掛けてきました。話の節々にその青年の澄み切った心が伝わってきました。初参加の私たち家族の緊張をほぐしてくれていたんだと後で気づきました。その講演会では二人の青年の体験談を聞かせていただき、吃音でありながらも「前向きに生きる」姿に感銘を受けました。と同時に、その裏には、どれだけの苦しみがあったのだろう、と吃音で苦しんだことのない私にとって計り知れないものを感じもしました。それ以降の例会においても皆さんの前向きな姿勢に「元気」をいただきます。吃音を克服することは精神を鍛えることであり、心の問題でもあることがわかり、その手助けをするのが言友会であり、人として成長する場なのだろうと思えます。例会では人前で発表したり発言したりしていますが、人前で吃音で話すという最も過酷なことにチャレンジすることが「吃音」を克服するだけでなく、精神的に成長することになるのだろうと思えます。吃音者だけの集まりではもったいない。
    話は変わりますが、私自身緊張をすると吃音になっていたことを言友会に入って自覚するようになりました。今までは言葉につまっても緊張すると誰でもそうなると思い込んでいたようです。よくよく考えるとちょくちょく吃っています。とくに電話での応対では 「毎度ありがとうございます。」がいつもつまってしまい、上手く喋れません。そうなるといつも電話を受けるたびに緊張してしまい、またつまってしまいます。こんなことも例会で人前で発言することによって改善できたらと思っています。みなさまの元気を頂くばかりでなく、私自身も発していけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

  • #2

    匿名 (木曜日, 31 7月 2014 15:28)

    娘からのパワー
    私が生まれ育った場所は田舎町で、小・中学校は1学年2クラスの小さな学校でした。そのため、ほとんどの人が私の吃音のことを知っており、よく、からかわれたり笑われたりしたものでした。小学校4年生の頃から何度か言語教室に通って、一時はほとんど気にならない程に回復しました。しかし、高校に入学して他の学校の新しい人達との出会いから、吃音のことが気になり、段々とひどくなってしまいました。『早く卒業して働きたい。』そうすれば、嫌な発表や本読みから開放されると思っていました。
    高校卒業後、愛知県に就職したところ、入社教育から始まり、朝礼・電話・QCサークルなど、人前で話す機会がたくさんありました。それは学生時代のものとは比べものにならない程大変で、責任も重く、また自分の将来も決めてしまうかもしれない事だと知り、自分の甘さと世間の厳しさにがっかりしたものでした。
    こんな私も人並みに結婚し子供も授かり、このまま平凡に暮らしていけるかと思ったのですが、娘は出産時のトラブルで生死をさまよい、持ち直してホッとしたところに「後遺症が残ります。」との医師の言葉で地獄に突き落とされました。なぜ私だけがこんな辛い思いをしなくてはいけないのかと悲観的になりましたが、それからはリハビリの毎日で、悲しんでいる暇もなく、ましてや自分の吃音の事など悩んでいる余裕はありませんでした。
    2歳からは障害児の施設に母子通園が始まり、そこにはさまざまな障害を持った子供達がいました。どの家庭にも大変な試練があるのですが、保護者は皆明るく、それを感じさせないものでした。また、当の子供達も不自由な体でも屈託なく、本当に普通の子供なのでした。そんな姿を見て、私の悩みなど取るに足らない程度のものだと感じました。
    娘はもう中学生で、全介助の車椅子の生活で正直大変です。でも、娘からはいろいろなものをもらっています。特に、生きるパワーと些細なことでも感動できる心です。手前味噌ですが、妻が「人の痛みを自分の痛みに出来るあなたの性格は、きっと娘と吃音のおかげよ。」と言います。
    今までの人生で、憂鬱になったり、落ち込んだり、数え切れないほど恥ずかしい思いをしてきました。しかし、吃音から逃げることは出来ないし、人と関わらずに生きてはいけない事も実感しました。自分の人生だから逃げずに頑張るしかありません。一生懸命にやっていれば、どんな下手な発表でも暖かい目で見てくれる人がいることもわかりました。何より、不自由な体でも精一杯頑張っている娘が、私のイキガイであり宝です。吃音を悩んで苦しい時も、娘の笑顔が心を癒してくれます。これからもこのパワーをもらって頑張っていきますのでよろしくお願いします。

  • #1

    うめキング (木曜日, 31 7月 2014 15:26)

    たかが吃音 ~言友会に出会って~
    小学校高学年の時、国語の授業で上手く皆の前で朗読が出来ずに吃ってしまったのをからかわれたのが、自分の記憶の中での最初の吃音です。
     吃音を意識すればするほど、その症状はひどくなり、先生や目上の人の前では殆ど話しが出来ない子供になってしまいました。吃音を治す為にはどうしたら良いかという事が絶えず頭から離れず、「心配しなくても大人になれば治るから。」という親の言葉を信じ、少しでも症状が軽くなると、このまま治るのではないかと期待し、症状が重くなると、やっぱり駄目かと失望するといった一喜一憂の繰り返し、完全に頭の中は吃音に支配されていました。
     それでも吃音に負けたくないという気持ちから、学生になると進んで接客のアルバイトをしました。バイトのある日は、朝から上手く出来るかどうかといった不安が頭から離れず、バイトに出掛ける直前まで自分の部屋に閉じこもって発声練習をしました。それでもやはり吃音は治る事無く、社会人になりました。
     仕事をしていて一番辛いのは、電話の応対です。自分の名前や会社の名前を言おうとすると喉が詰まってしまい、声が出て来ないのです。その為わざと電話から離れた席に座ったり、電話のベルが鳴っても手が放せない位忙しい振りをして誰かが出るまで待っていたりと、 ベルが鳴っただけで心臓がドキドキするようになってしまいました。
    このままでは駄目だ。自分を長年苦しめてきたこいつの正体が知りたい。と思ったのはそんな時でした。インターネットで片っ端から吃音について調べました。そこで初めて言友会の存在と、豊橋にも支部がある事を知りました。迷っている時間は有りませんでした。藁をもすがる思いで、取る物も取らず言友会の門を叩きました。電話が苦手の故、前もって一切連絡することなく突然現れた私を、みんな暖かく迎えてくれました。
    予想していた会のイメージは、非吃音者の講師やカウンセラーが前に立って話をして、 吃音者はその話を聞くだけ。といった集まりを想像していた私は、まずその場の雰囲気に面食らいました。司会者も、司会者に指名され発言している人も全員吃音者だったからです。
    そして初めて来た私にも発言する機会が巡ってきました。そこで私は生意気にもこう言いました。「私は吃音と上手に付き合っていく気など有りません。どうしたら治るのか、治す為にどのような努力を皆さんされているのか教えて下さい。」 こいつを治す為に此処に来た、その為ならどんな努力も惜しまない。といった決意がありました。しばらくその場に冷たい空気が流れました。少しの沈黙の後、リーダー格の一人の男性が、「私は治すための努力は特にしていないのですよ。」と済まなさそうにおっしゃいました。私は少しがっかりしてしまいました。此処に通えば吃音を治して貰えるかもしれないと思ったのに、やっぱりそんなに甘くはないのだと。
    しかし月に一回言友会に参加するうち、私の中で少しずつですが変化が起こりました。 まず同じ様に悩んでいるのは自分だけではない事に気付きました。今まで吃音で悩んでいる事を他人はおろか親にも話した事の無かった私が、自分をさらけ出す場を得た事でどれだけ気が楽になったか知れません。
    第二に吃らずに話す為のテクニックを教わったことで、以前より電話が怖くなくなりました。例えば会社の名前等、電話に出て最初に言わなくてはいけない言葉は紙に書き、机の見える所に張っておき、それを読み上げるようにする。他には「あなご」を「あなご」と言った具合に吃りそうな言葉は2番目にアクセントを付けて話すと意外と上手くいくといった具合です。
    それと何より言友会に入って自分自身良かったと思えたことは、皆さん今の自分を見て下さい! 人前で発言させて貰える機会を与えられた事です。今までの私なら、自分は吃音だから人前で話す事など出来ない。と逃げる事が出来たでしょう。しかし言友会はみんな吃音です、そんな言い訳は通用しません。毎月の例会では何度も発言する機会があります。それを繰り返すうち、言友会で出来たのだから他の場所でも出来るのではないかと自信が付きます。今こうして皆さんの前で話している私はそうした自信の積み重ねの賜物です。去年の言友会を知らなかった私が今の私を見たらさぞ驚く事でしょう。
    最後にこの話を聞いて言友会に興味を持たれた方が見えましたら、是非一度遊びに来て下さい。そして今まで誰にも言えなかった思いの丈を話して下さい。きっとあなたの中で何かが変わるはずです。
    人間として生まれてきた以上、悩みの無い人などいないでしょう。たまたま私たちは吃音で悩んでいるだけで、吃音でない人もそれぞれ誰にも言えない悩みを抱えて生きていることに気付き、人生最大の悩みであり課題であった吃音が「たかが吃音!」と心から言えるようになりたいと考えております。

    (2003年11月16日の「豊橋・吃音者のつどい」の体験談発表より)